西行は、花にあくがれる自らの心を見詰めて多くの和歌を詠んだ。
吉野山こずゑの花を見し日より心は身にもそはずなりにき 西行
あくがるる心はさてもやま桜ちりなむのちや身にかへるべき 〃
花に染む心のいかでのこりけむ捨て果ててきと思ふわが身に 〃
これらの歌を読むと、世を捨て、現世への執着を捨てた西行にして、いかに桜への執着、憧れが強かったかがよく分る。特徴的なことは、「花にあくがるる心」、「花に染む心」が、「身」と対比されながら、あたかも目に見え、五感で確かめられる形を持ったモノであるかのように詠われていることである。「花にあくがるる」自らの心の在りようを、作者西行は、少し離れたところから眺め、嘆き、驚き、興じている。
これらの作はそれはそれとして面白いが、今日の我々の目から見れば、「心」と「身」とを対比して表現しているところにやや技巧の跡が見え、作品の余情のふくらみの点では今一つの感がある。
西行が花を詠った作のうち上乗の作としては、掲出の諸作ではなくて、やはり
願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ 西行
にまず指を屈しなければならないだろう。この歌では「心」と「身」を対比させてはいないが、作者の「花にあくがるる心」は、作品の余情として紛れなく感じられる。
以上の西行の諸作は、短詩型文学においては、もっとも表現したいことを露わに表現するより、表現の後ろに潜めることにより、作品の余情を豊かにすることができる一例を示しているようにも思える。
比較のために、芭蕉が花(桜)を詠った句についてみてみたい。
命二ツの中に活たる桜かな 芭蕉
花の雲鐘は上野か浅草歟 〃
さまざまの事おもひ出す桜かな 〃
しばらくは花の上なる月夜かな 〃
『野ざらし紀行』では、掲出の第一句には「水口にて二十年を経て故人に逢ふ」との前書きがある。故人とは伊賀の服部土芳のことで、土芳と再会できた芭蕉の喜び、感動が、「命二ツの中に活たる」とのやや大仰で抽象性を帯びた表現や強い気息となって表れているが、感動の主体である作者の心そのものが明示的に表現されている訳ではない。
第二句は、草庵から、上野や浅草の花の雲を眺めわたしての作である。「・・か・・か」のリフレインには、花時の浮き立つような気分とともに、どこに出掛けるでもなく、「花の雲」を遠望しながら草庵に籠っている作者の気だるい気分も感じ取れる。
第三句は、帰郷した折、探丸(芭蕉の故主君蝉吟公の子)の花見の席に招かれての作。「さまざまの事」との漠とした表現により、却って、作者の万感の思いが表れている。
第四句は、花と月に焦点を絞って夢幻的なはなやぎが感じられる作品である。前掲の西行の和歌とは異なって直截な表現はないが、西行と同様芭蕉にもあったと思われる花にあくがれる心が表現のうしろから匂いでてくるようだ。
以上みてきたように、西行は専ら花にあくがれる心を詠んだが、芭蕉の作における桜の詠み振りはより変化に富んでいる。また、芭蕉の作においては、感動の主体である作者の心は、西行の和歌のように前面には出ずに、表現のうしろに潜められている。
俳句では、これらの芭蕉の句のように「心」と直截に表現しないことが多い。
人間探求派と称される俳人の中でも、最も自らの内面、「心」への踏み込みへの志向が強かった思われる加藤楸邨の場合はどうだろうか。
昭和十四年の座談会で、楸邨は、自らの志向を、「俳句における人間の探求」と述べている。楸邨が探求しようとしたのは、「人間」一般ではなく自らの内面だった。
冴えかへるもののひとつに夜の鼻 楸邨
句集『火の記憶』所収。「三月十六日、午前 警報あり」との前書きがある。「夜の鼻」という自らの身体の一部であるモノに託して、空襲の日々を過ごしている作者の心の在りようを浮かびあがらせている。冴え返っているのは、厳しい戦局にある戦時下の日本であり、作者を取り囲んでいるもろもろの対象だが、その中でも作者自身の「夜の鼻」が意識された。自らの鼻に託された作者の心そのものが冴え返っているのだ。
この句では、作者の心は、前掲の西行の和歌のように一途に対象にあくがれているのではない。空襲が日常化し、閉塞感のある日々を送っている作者の生身の人間の心がある。
行々子暮れねば顔の定まらず 楸邨
声出さば崩れ去るべき秋の顔 〃
日本にこの生まじめな蟻の顔 〃
笑顔みな使ひはたしぬこれから河豚 〃
海鼠食ひし顔にてひとり初わらひ 〃
裸木にひたすらな顔残したり 〃
句集『まぼろしの鹿』、『吹越』、『怒濤』所収の作品から掲出した。
楸邨は、鼻を含めて、顔をモチーフにした多くの句を残した。楸邨にとって、顔はその人の極印であって、決して単なる識別のための符丁ではない。そのような人の顔というものへの関心を、楸邨は終生持ち続けた。
これらの作は、濃淡の違いはあるが作者の自画像だろう。掲出の第一句から第三句にみられる突き詰めた生まじめさは、第四句、第五句では、余裕と諧謔に溢れており、笑いの世界に転じている。
第一句、第二句には、自らの内面の脆さ、不安定さを見詰める作者の眼差しがあり、また、第三句では、「生まじめな蟻の顔」に自らの内面を投影させていて、これらの作で詠まれている「顔」の生真面目さは、若かりし頃の人間探究派としての楸邨の姿を彷彿させる。
これに対して、第四句は、自らを戯画化する余裕から生まれた作であり、第五句は、海鼠を食った顔のまま、誰も居ないところで「初わらひ」しているという、自らの内面に混沌としたものを抱え込んでいた人らしい作である。
第六句は、「永別十一句」との前書きがある諸作の中の一句であり、妻知世子の追悼句。この句の「ひたすらな顔」は作者の思い出の中にある在りし日の妻の顔だが、そこには楸邨自身も投影されているだろう。
以上のように、作品で詠まれる「顔」の表情には変遷があるが、いずれにしても、楸邨にとって、「顔」は、自らの内面に踏み込み、自らの心を探求するための梃子の役割を果たしている。楸邨の多くの「顔」の句は、楸邨における「人間探求」の志向の強さを物語っているようだ。
ふるさとはひとりの咳のあとの闇 龍太
昭和42年作。作者を包んでいる「闇」を詠うことによって、「闇」に包まれている作者の心の在りようを浮かび上がらせている。母を喪った後の重心の低い独り心の世界であり、
父母の亡き裏口開いて枯木山(41年)
の作とともに、父母の亡き故郷に定住する侘しさがひりひりと感じられる。
掲出句における作者の独り心は、故郷で過ごしてきた歳月と切り離すことができない。この句の「闇」は、現在の作者だけでなく、過去から未来へと続く時間の流れを包み込んでいる。
このように、俳句では「心」と直截には表現しないで、余情をとおして作者の心の在りようを読者に感じ取らせるのが一般的な詠み方であるが、「心」と直截に表現している作例もある。
くれなゐのこゝろの闇の冬日かな 蛇笏
みずどりにさむきこゝろを蔽ひけり 〃
掲出句は、いずれも明治41年の作であり、作者が東京から郷里へ帰郷する前年に当たる。「こゝろの闇」、「さむきこゝろ」との措辞は、そのときの作者が抱えていた憂悶や自らの心を見詰める内省的な眼差しを感じさせる。このような「こゝろ」を詠んだ作は、内面に自らの支えを求めようとする内省的な心的傾向の表れだろう。
全作品を見渡した場合、蛇笏の「こゝろ」を詠み込んだ作品はそれ程多くはなく、多くの場合、
芋の露連山影を正うす 蛇笏
の作のように、心の在りようを表現の後ろに潜めている。この句では、秋の清澄な空気の中で影を正している故郷の山河が詠われているのだが、一読、自ずから、身辺、遠景とも秋の気配が濃くなる中で、「連山」に向かって佇む作者の胸中も自ずから感じ取れる。
『現代俳句キーワード辞典』(立風書房)には、「こころ」を詠み込んだ例句として、前掲の蛇笏の「くれなゐ」の作のほか、次のような作が例句として掲げられている。
森や谷まも眠るときあかくつらなるこころの雪崩 重信
花に病む汝の心をうべなひぬ 青畝
外套やこころの鳥は撃たれしまま 枇杷男
蛇踏みし心いつまで青芒 石鼎
桐一葉落ちて心に横たはる 白泉
行く秋のこころの枝へ火を移せ 渚男
これらの諸作のうち、蛇笏の句と同様に、自らの心の感触を表現しようとする志向が感じられるのは第四句、第五句だろう。特に第五句の自らの心を見詰める作者の眼差しには、静謐だが底知れない虚脱感がある。
一方、第一句の「こころの雪崩」や第六句の「こころの枝」は、その時々の作者の心の感触の表現というよりも、隠喩を駆使して固有の詩的空間を創り出そうとの志向が明らかである。