龍太と芭蕉、虚子、蛇笏(3)

芭蕉は、「格に入りて格を出ざる時は狭く、また格に入ざる時は邪路にはしる。格に入り、格を出てはじめて自在を得べし。」と言ったと伝えられる(『俳諧一葉集』)。

  虚子、龍太とも、その作品には、有季定型という枠を守りながらも、「格」を出た自在さの印象がつよい。

天の川のもとに天智天皇と臣虚子と    虚子

爛々と昼の星見え菌生え              〃

初蝶来何色と問ふ黄と答ふ            〃

  第一句は、大宰府の都府楼址を訪れたときの作である。歴史的な回顧の思いが大きな時空を包み込んでいる作という点では、『奥の細道』の

荒海や佐渡によこたふ天河            芭蕉

を思い起こさせるが、この芭蕉の作が、旅先で目にした景に即した諷詠であるのに対して、「天の川」の作では、「天智天皇」という歴史上の人物と「臣虚子」とを並置することにより大きな時空を現出させており、そこに、虚子の奔放不羈な想像力と、前掲の「去年今年」の作に通じるような大胆さを感じさせる。

 第二句は、「菌」の生える山中にあって「爛々」と「昼の星」が見えるという、実景と想念が融合した作品である。

  第三句は、只事に終りそうな禅問答のようなやり取りをとおして、初蝶の飛ぶ麗らかな春の空間を鮮やかに現出させている。

 これらはいずれも虚子の自在さを証する作品である。

 一方、龍太の自在さは、次の作などに表れている。

なにはともあれ山に雨山は春(昭和62年)

 この句の「なにはともあれ」との思い掛けない表出は、「格」に囚われた発想からは出て来ないだろう。この措辞のゆったりとした土着者の気息には、春を迎えた山々に対する親しみがある。

千里より一里が遠き春の闇(昭和63年) 

百千鳥雌蕊雄蕊を囃すなり(平成2年)

 第一句は、心理的な距離感(プルーストはこの距離感のことを「内的な距離」と言っている。)が物理的、客観的な距離とは異なることを鮮やかに作品化している。「春の闇」の感触が、心理的な距離感にリアリティを与えている。

 第二句は、沢山の鳥の囀りが、折から咲き盛っている花々の雌蕊、雄蕊を囃していると捉えた作品である。春酣の草木虫魚の命の交歓図であり、童心に溢れた自在な発想と鍛え抜かれた表現力とが相俟ってできた作であろう。

朧夜のむんずと高む翌檜(昭和47年)

三伏の闇はるかより露のこゑ(昭和48年)

返り花咲けば小さな山のこゑ(昭和53年)

  これらの諸作で詠われているのは、対象の生命力であったり、目には見えないが確かに感じられる季節の推移の兆候であったり、作者の心耳が聞き取った「山のこゑ」だったりするが、いずれの作にも、五感では捉え難いが定かに感じられるものを、見える表現にしようという志向がある。

 龍太俳句の自在さの根底には、「写生は、感じたものを見たものにする表現の一方法」(『自選自解飯田龍太句集』)との写生に対する柔軟な受け止め方があり、龍太においては、論と実作に乖離がなかったと言っていい。

 この点、門下の俳人には客観写生を唱導しながら、実作では自らの写生論に収まりきれない句を作った虚子の場合と対照的である。龍太は、虚子の実作と写生論双方を胸に収めた上で、虚子流の写生論に柔軟な修正を加えたのだと思う。

 それは兎も角、作品の対象が五感が捉えたもの、「見たもの」に限定されずに、それを超えた時空に広がっているところに、両者に共通する自在さの源がある。

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