楤(たら)の木は山野に自生するウコギ科の落葉低木。全国の山野の明るい斜面や林縁部で生育しているほか、栽培もされている。枝には鋭い刺がある。仲春の頃芽を伸ばす。6センチほど伸びたものをもぎ取って食用にする。

楤(たら)の木は山野に自生するウコギ科の落葉低木。全国の山野の明るい斜面や林縁部で生育しているほか、栽培もされている。枝には鋭い刺がある。仲春の頃芽を伸ばす。6センチほど伸びたものをもぎ取って食用にする。

蛇笏の場合についてみてみたい。
鼈をくびきる夏のうす刃かな 蛇笏
夏雲むるるこの峡中に死ぬるかな 〃
第一句では、いささか血腥い情景が詠まれているのだが、ポイントは「夏のうす刃」との措辞だろう。季語の使い方としてはやや強引だが、この措辞により、「鼈」をくびきった「うす刃」の冷たい光や辺りに飛び散っている血など、その場のなまなましい情景を余さず表現し得ている。
第二句の「夏雲」には、盛夏にあって己を誇示するような生気があり、「むるる」という措辞により捉えられているそのなまなましい存在感が、作者に、自らに残された生、そしてその先にある死についてのイメージを喚起したのだろう。
作句に当たり、対象と相対して、そのなまなましい存在感、言わば対象の「現実の相」を作品に定着しようとする蛇笏の姿勢については、明治大正期の自然主義文学の影響もあったと思われるが、この姿勢は終生変わらなかった。
葉むらより逃げ去るばかり熟蜜柑 蛇笏
荒潮におつる群星なまぐさし 〃
これらの蛇笏最晩年の諸作は、病床における想像或いは回想によるものだったであろうが、作中の「熟蜜柑」や「群星(むらぼし)」は、実物、実景以上のなまなましい存在感をもって読む者に迫る。
龍太は、『俳句の地方性と土着性と』と題する一文の中で、蛇笏最晩年の作を挙げながら、「こうした作品のなまなましさ。あるいは老い難い詩情の憂心は、つまるところ、土着定住の全き安息から生まれるものではあるまい。」と指摘している。
蛇笏は、最晩年まで、俳句に「泥臭さ」を求めたが、土着の俳人と言われながらも、故郷に全く同化していたのではなく、定住土着という現実の中で、旅や遥かなものへの憧れなど、現実と相容れない、宥め難い心情を内面に抱えていた。掲出した最晩年の諸作のもつなまなましさは、そのような内面の表れでもあるだろう。
「芍薬(しゃくやく)の芽」は「草の芽」の傍題。芍薬はボタン科ボタン属の多年草。春に地上から芽を伸ばし、初夏の頃、茎先に大型の華やかな花を咲かせる。ボタンに似ているが、ボタンは木本で冬も枝が残るのに対し、シャクヤクは草本で冬は地上部が枯れ、地中の根や芽で冬越しする。

鯛はタイ科の硬骨魚の総称で、イシダイやキンメダイなど何百もの種類があるが、通常鯛といえば真鯛のことをさす。真鯛は姿がよいことから、昔から慶事に用いられてきた。「桜鯛」は、サクラのシーズンに漁獲される真鯛のこと。春の産卵時期になると特にオスは顔のピンク色がより一層鮮やかになり、いわゆる婚姻色を呈する。単に「鯛」「真鯛」といえば無季になる。


恋猫に篠竹群を疾風過ぐ(昭和44年)
騒然と柚の香放てば甲斐の国(〃)
これらの作品は、前回鑑賞した「一月の川」の句と同時期の作である。いずれの句にも、風や匂いの感触によって素材のもつなまなましい存在感が鮮やかに掴み取られており、龍太俳句の振り幅の大きさが改めて思われる。
掲出の第一句では、恋猫の季節の荒々しい風の感触が、篠竹群を鳴らして吹き抜ける疾風によって捉えられている。
また、第二句は、作者の共感覚的な素質が窺える作品。柚子の匂いを「騒然」と形容することより、竹竿などで打ったときのその香の強烈さがありありと感じ取れる。
対象の匂い、色彩などを五感で鋭敏に捉えてその真に迫ろうとする特質は、龍太俳句の初期の頃からのものである。
花栗のちからかぎりに夜もにほふ(昭和27年)
いきいきと三月生る雲の奥(昭和28年)
炎天に筵たたけば盆が来る(昭和42年)
これらの句の「花栗」、「雲」、「筵」は、実物、実景以上にいきいきとその生命力を発散させている。
掲出の第三句については、「泥臭い句だが、私の場合は、もっとこの泥臭さがあっていいと思っている。元来、俳諧それ自体が泥臭いもので、芯ばかりにしてしまっては折角の風味に欠ける。」との自句自解がある。俳句が「泥臭い」とは、作中において、素材が、その本来もつなまなましさを発散させていること、という程の意味だろう。また、俳諧それ自体が「泥臭い」とする自句自解の一節には、俳句の伝統に対する龍太なりの受け止め方があろう。それは多分に直感的なものかも知れないが、私なりに敷衍(ふえん)すると、
〈俳諧は、正統の連歌から分れて生まれた、もともとは滑稽や戯れを主とした文芸だった。それを高次の文芸に高めたのが蕉風の俳諧だが、いずれにしても、俳諧における対象の把握や表現は、連歌におけるような固定化、様式化されたものではなく、自由で実感に即した把握により、素材に即してそのなまなましさを作品に生かすことが、俳諧の俳諧らしいあり方だ。〉
とこんな風だろうか。
前掲の「炎天」の作についてさらに付け加えれば、この句の「筵」は「蚕筵」であり、一読、筵を叩いて舞い上がる養蚕の塵埃につつまれる。盆を迎えようとする養蚕農家の日常が、「筵」を叩く音、舞い上がる塵埃のにおいなどにより、臨場感をもってなまなましく伝わってくる。この句や
刃を入れしものに草の香春まつり(昭和42年)
の作などの郷土の営みを詠んだ諸作には、作者が定住、土着している「郷土の厚み」(金子兜太)がしっかりと抱き取られている。
一方、前述のように、中期以降の龍太俳句においては、全体として、「泥臭さ」よりも、「ことばが純化して、素材のなまなましさを拭い去り、純度の高い、光沢のある詩語に変っている。」(平井照敏)との評が当てはまるような作品へと句風が変遷してきていることは否めない。