俳人龍太の形成に影響を与えた人を3人挙げよと言われたら、芭蕉、虚子、蛇笏を挙げることに、大方の異論は無いだろう。
本稿では、まず、龍太が芭蕉をどう読んだかについてみてみたい。
龍太には、『芭蕉のことなどー山本健吉』、『ふたりの場合』など芭蕉を論じた幾つかのエッセイがある。
龍太がこれらのエッセイの中で述べている芭蕉像のポイントは、旅に明け暮れた芭蕉の胸中には、故郷伊賀に対する根深い望郷の思いがあったこと、そして、芭蕉における風土と漂泊が表裏皮膜のものだったということである。このような芭蕉理解の契機になったのは、『奥の細道』に収められている
文月や六日も常の夜には似ず 芭蕉
のどこか切迫した気息に、作者の胸奥のつぶやきを聞き止めたことにあるという。
『奥の細道』の越後路の段には、「・・この間九日、暑湿の労に神を悩まし、病おこりて事をしるさず。」とあって、次の二句が並べられている。
文月や六日も常の夜には似ず 芭蕉 荒海や佐渡によこたふ天河 〃
「文月」の句が求心的な句柄であるのに対して、「荒海」の句は遠心的であり、前者は胸中の密かな呟きのような句であるのに対して、後者は大景と対峙しての気魄の一句である。『奥の細道』に句柄の対照的な二句を並置したところには、単調さを避けようとした芭蕉の構成的な意図があるだろう。また、この二句は、芭蕉の句の振り幅の大きさを示す一例でもある。
そう思って改めて両句を眺めると、いずれも上五に「や」の切れ字を用いているのだが、その効果に大きな違いがあることが分かる。「荒海や」の「や」には、対象から目を逸らさない作者の雄心が示されており、一方、「文月や」の「や」の内省的な響きには、作者の密かな思いが込められている。
正岡子規は『芭蕉雑談』の中で、「芭蕉家集は殆んど駄句の掃溜にや」と断じた後、「雄健放大の處に至りては芭蕉以前絶えて之れ無きのみならず芭蕉以後にも亦絶えて之れ無」しと絶賛し、「雄壮なる句」の例として、〈夏草やつはものどもの夢のあと 芭蕉〉などとともに、「荒海」の句を挙げている。この句を推奨する理由として、「能く實際を寫し」ていることを挙げているのもいかにも子規らしい。「雄壮なる句」に対する子規の高い評価は、子規の個人的な嗜好というだけでなく、明治という言わば遠心的な時代精神の反映でもあったろう。一方、子規は、「荒海」の句を称賛する一方で、「文月」の句についてはどこにも言及していない。この求心的な句が子規の心の琴線に触れなかったのは、明治という時代を生きて若くして亡くなった子規という人の限界だろう。
一方、龍太が芭蕉について論ずる際にしばしば取り上げているのは、「荒海」の句ではなくて、「文月」の句であることは、子規の場合と対照的だ。
「この求心的な句には、芭蕉の胸奥のつぶやきが秘められているように思われてくるのだ。長い旅程もすでに半ばをすぎ、あわせて肉体の衰えと老境を意識するとき、芭蕉の胸裡には、深く望郷のおもいが根ざし、それがこのような句の姿となって現われたのではないか、・・・」(『芭蕉のことなどー山本健吉』)
このことは、龍太にとって俳句とは何だったのか、俳句に何を求めたのかを考える上で看過できない。
前述のように、「文月」の句は龍太の芭蕉理解の契機になっているのだが、この句の表向きの意味は、今日は七夕の前夜で、旅先の町の気配や星の光にも、心なしかいつもとは違った雰囲気が感じられるとの句意であって、望郷の思いが直截に詠われている訳ではない。芭蕉における「望郷のおもい」は、この句をはじめとする『奥の細道』後半の句の声調から龍太が感じ取ったもので、芭蕉の胸裏の深いところから出ているその声調に、龍太の詩心が共鳴したのだと思う。僅か十七音で表現しなければならない俳句では、作者が口を噤んだところに、最も表現したいことが潜められている場合があるということだろう。
いずれにしても、「荒海」の句の対象と対峙する気魄に満ちた諷詠よりも、「文月」の句から聞こえてくる作者の心の深いところから発せられる呟きに、龍太は惹かれるものを感じていた。
そして、そのことと、俳句を「普段着の文芸」とするその俳句観とは、深く結びついているように思える。龍太にとって、俳句は、「木綿の肌着のようなもの。あくまで日常の用」(『解らないことなど』)であり、このような俳句観からすれば、
〈「荒海や」の句は、なるほど世評のとおり立派な句だが、芭蕉さんの肩に力が入り過ぎていてどうも親しめない。それよりも「文月や」の句のもつ肌着のような手触りが私には何とも好ましい。〉
といったところかも知れない。
芭蕉が自らの風雅について述べた「夏炉冬扇」ということについても、龍太からみれば、当時江戸で流行していた点取俳諧に対する過度の意識が感じられて、そのような世間の流行など気にせずに、自然に、在るがままに生きればいいと思ったのではないだろうか。
「詩の本質は、飾らない心が率直に言葉になることではないか。」(『龍太語る』)との述懐も、このような思いから出た言葉だろう。