龍太俳句と「かるみ」(1)

 尾形仂の『巧者の芸境』は、芭蕉の晩年に至るまでの課題であった「かるみ」について、明快かつ平易に論じている。

「このころから芭蕉の作品には、平俗な日常生活の中に詩を求め、それを日常のことばで表現しようとする姿勢が目立ってくる。」

「いっさいの芸術的ポーズを捨て去った率直な態度で日常生活の中に詩を探り、それを日常のことばで表現しようとした・・・」

「〝かるみ〟とは外から見た場合には句体の問題であり、内から見た場合には句法の問題であり、そして最も本質的には詩心の問題であるといえる。」

 以上のように、尾形氏は、「かるみ」を論じるからには、その文章においても、「かるみ」の趣旨を体して晦渋を避け、平易を心掛けているようだ。

 芭蕉の発句のうち「かるみ」を体現していると一般的に言われているのは、

鶯や餅に糞する縁のさき            芭蕉

塩鯛の歯ぐきも寒し魚の店       〃

寒菊や粉糠のかゝる臼の端        〃 

などである。 

 第一句は、鶯が、縁先に干してある餅に糞を落して行ったとの庶民生活の中の平俗な日常の一齣を句にしたものである。

 第二句は、

声かれて猿の歯白し峯の月           其角

と対比させて、自らの志向を明確に示した作である。其角の句が奇想を前面に出した句柄であるのに対し、この句は「歯ぐきも寒し」との感覚の鋭さを、「魚の店」の市井の日常の景の中に包み込んだ。

 第三句は、農家の前庭などでの餅搗きの情景であろうか。臼の端に粉糠がかかっているささやかでありふれた光景が、寒菊の風情をよく活かしている。

 前述の尾形氏の文章や芭蕉における「かるみ」の代表句とされる掲出の諸作を読んでいて、自ずから思い出されるのは龍太の次の句である。

涼新た白いごはんの湯気の香も(昭和53年)

 「ごはん」は毎日のように食卓に上がるものであり、炊き上がったその湯気の芳しさは日本人の誰にも好ましいものであろうが、余りにも日常身近にある素材であり、ほとんどの人は、敢えてそれを句に詠もうとはしないだろう。そのような日常の些事の中に作者は詩因を見出した。この句から見えてくるのは、作者の「平俗な日常生活の中に詩を求め、それを日常のことばで表現しようとする姿勢」であり、龍太における「かるみ」への志向である。

浴衣着て水のかなたにひとの家(昭和40年)

どの子にも涼しく風の吹く日かな(昭和41年)

子の皿に塩ふる音もみどりの夜( 〃 )

熱き湯に水さす春の夕餉どき(昭和42年)

 掲出の第一句は句集『麓の人』に収められており、第二句以下は『忘音』所収の作品である。龍太における「かるみ」への志向が、この時期に胚胎したことを示す諸作だろう。また、これらの作は、龍太俳句における「かるみ」が、故郷における自適の日常のくつろぎと不可分のものであることを示している。

 句集『忘音』は、母を亡くした後の重心の低い鎮魂の詩情が作品の主調音をなしているのであるが、他方で、土着者の日常にあってのくつろぎの詩情と結びついた「かるみ」の諸作が、句集の一つの柱になっていることは否定できない。

 そして、これまで「定住と旅心」で述べたように、この時期以降、旅吟においても、「かるみ」の作が龍太の作品を特徴づけるものとなった。

 『龍太語る』には、「詩の本質は、飾らない心が素直に言葉になることではないか。」と述べた件がある。「かるみ」において重要なのは、結局は作者の心であることを端的に語ったものだろう。

  尾形仂が、前述の『巧者の芸境』の中で、「かるみ」は「自己の様式・技法を確立した巧者の芸境」であって、能や書など日本の芸道に共通して見られる特色だと説いているように、「かるみ」は芭蕉に限った特色ではない。

 龍太の作品が、句集『忘音』以降、「かるみ」の特色を帯びるようになったことは前述のとおりだが、他の俳人、例えば、石田波郷の作品についてみても、句集『惜命』以降の作風が「かるみ」の傾向を帯びたものであることを、ここでは指摘しておきたい。

 「かるみ」の句風に至った龍太固有の事情としては、句集『忘音』において句法・句体に一応の完成をみたこと、故郷との和解を経て、定住、土着をプラス思考で捉えられるようになったことなどが挙げられよう。

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