定住と旅心(2)

飯田蛇笏は明治42年の帰郷以降、定住、土着の俳人として終始したが、戦前、戦後をとおして多くの旅吟があり、旅や遥かなものに憧れ、誘われる浪漫の心を持ち続けた。

秋風やみだれてうすき雲の端          蛇笏

和歌の浦あら南風鳶を雲にせり        〃

あるときは春潮の鷗真一文字          〃

 掲出の第一句は、昭和8年10月、足尾、日光方面への旅立ちに際しての作であり、紀行文『癸酉紀行』には、「・・・雲間の蝸廬をあとにして、今年十月の旅路は、下野の国足利から、足尾の鉱山町に、久しい情誼を交わす諸友をたずねるの欣快を掬そうとするのである。」とあって、「出廬」との前書きとともに掲出句が添えられている。

  この紀行文及び「出廬」との前書きを併せ読むと、一見精緻な写実と見える「みだれてうすき雲の端」に、これから旅に出ようとする作者の弾むような旅心が重ねられていることが分かる。

  第二句は、昭和14年、紀伊方面を旅したときの作であり、句集『山響集』に「紀伊路」の題のもとに収められている。この句の「あら南風(はえ)」が「鳶」を「雲」にしたとの大胆で新鮮な把握は、故郷の日常とは異なる旅先の風土、風物に接しての旅心の昂りを如実に感じさせる。

  第三句は、昭和15年、蛇笏が一か月を越える初めての海外旅行(朝鮮、満州、北支)に出たときの諸作の中の一句であり、句集『白嶽』に「大陸羇旅句抄」として収められている。この句は、情景の説明を一切省略して、「春潮の鷗」に焦点を絞った簡明な句柄であり、第二句と同様、作者の旅心の昂揚が結実した作品である。

 このときの海外詠には、

春北風白嶽の陽を吹きゆがむ          蛇笏

北陵の春料峭と鳶のこゑ              〃

など山の名や地名を詠み込んだ作もあり、このような旅先の地名や「石獣」など初めて目にする素材を貪欲に作品に摂取していることも、一貫して変わらない蛇笏の旅吟の特色である。故郷における日常とは全く異なる大陸の風土に身を置いて、目に触れる対象を正面から捉えて詠んでいる。

 こうしてみると、 蛇笏にとって、旅は、故郷とは異なる風土に身を置いて、定住、土着の日常から心を解放させ、心のしこりを解消して感性を新鮮に保つカタルシス(浄化)の役割を果たしていたように思う。

  蛇笏の旅、旅吟の特色として、人との関わりについて触れておきたい。

  蛇笏に『人温羇旅』と題する紀行文があり、昭和14年に大阪、紀伊、岐阜方面へ旅したときの見聞が俳句を交えて綴られている。この紀行文の特色は、例えば、「(鵜匠の)腰蓑に身をかためた姿半面が、(篝火に)べっとりと絵の具した如く照らし出されている。」との記述にみられるように、風景や人物についての随所の描写に作者の写実の目が利いていることに加えて、行く先々の句友との交友や旅先の地の風土に生きる人々―岩窟に棲む蜑夫婦、鵜匠など―の風貌や生活が活写されていることである。

 紀行文の文中には

人温にゆらるゝ初夏の旅こゝろ       蛇笏

などの句も添えられており、蛇笏にとって旅は、何よりもまず、全国各地に散らばる弟子たちとの絆を確かめ、「人温」の思いを新たにする機会であった。

  この点に関して、龍太は、座談会の中で、「そこに住んでいる人に対する、人間に対する関心、かかわり、これが非常に濃厚」だったと回想している。

みすゞかる信濃をとめに茸問はな      蛇笏

強霜におしだまりたる樵夫かな         〃

  昭和14年作。句集『山響集』に「上高地と白骨」の題のもとに収められている旅吟中の作品である。第一句の「信濃をとめ」に対して問いかけようとする作者の心の動きには、旅先で会った「信濃をとめ」に対する親しみとともに、日常から解き放たれたのびやかな旅心と遊び心が感じられる。また、第二句からは、黙然と強霜を踏む「樵夫」の一徹な風貌が見えてくる。

はるばると来て春燈に不言ものひはず           蛇笏

  昭和15年作。句集『白嶽』に「大陸羇旅句抄」として収められている諸作の中の一句である。「錦州を発ち途中一夜をあかして水龍女ひとりはるばるたづね来る」との前書きがある。満州旅中の蛇笏の元へ遠くから駆けつけて来た女流の俳友との交友の様が彷彿とする。

  蛇笏の戦後の作品の中にもかなりの数の旅吟がある。

  句集『雪峡』には、昭和23年に関西方面を旅したときの旅吟が「覉旅風物抄」の題の下に収められており、また、25年に北海道を旅したときの旅吟が「北方覉旅の諷詠」として収められている。

ネオン眼を射て高価なる冬百貨       蛇笏

夏兆す雲むらがりて雄冬岬            〃

 第一句は、関西への旅中、大阪の大丸百貨店の光景を活写した作であり、第二句は小樽から札幌に向かう車中目にした雄冬岬に夏の兆しを捉えた作である。いずれも、旅先で目にした光景や素材に作者の目と心が生き生きと応えており、戦前の旅吟と同様、旅心の昂揚が結実した諸作である。

 一方、同じ旅中の旅吟のうち

短日の埠頭がとどむ黒き貨車          蛇笏

火口湖の高浪をきく余寒かな           〃

などの諸作には、詩心の昂揚よりも求心的な詩情の沈潜への傾斜がみられる。また、「覉旅風物抄」中の

旅ゆけば暮れはやく過去かへりこず    蛇笏

には、老境の孤愁が感じ取れる。

 戦前から戦後にかけての蛇笏の旅吟のこうした変化は、21年、22年に相次いで受けた子息の戦死の報を初めとする戦時の悲惨な経験が、蛇笏の心に強い衝撃を与え、日常はもとより旅先にあっても、胸中に翳を落していたことを示しているように思う。

 遺句集『椿花集』には、健康状態などから思うように旅に出られなかったこともあり、旅吟として収められているのは、

たたずみて秋雨しげき花屋跡          蛇笏

など、昭和31年の関西方面への旅に際しての諸作が主なもので、多くは日常詠や回想による作である。

  しかし、

寒雁のつぶらかな声地におちず        蛇笏

山中の蛍を呼びて知己となす          〃

荒潮におつる群星なまぐさし           〃

など、臥床がちな中で、却って想念は自在になり、遥かなものへの憧れが作品に色濃く表れている。

 そして、このような自在な想念の飛翔を示す諸作に加え、

雪幽くつのりて軍靴湧くごとし        蛇笏

雪山をゆく日とどまるすべもなし      〃

のように、戦時の回想や無常迅速の嘆きが表出されている作も交じっている。

 戦時の心の傷は癒えることが無かったが、思うように旅ができなくなった最晩年に至るまで、蛇笏の胸中には、旅や遥かなものへの憧れが老境の心の支えになっていたと思われる。

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