定住と旅心(1)

飯田龍太は、『俳句は石垣のようなもの』(昭和50年)と題するエッセイの中で次のように記す。

「風土と漂泊は、これまた表裏皮膜のもの。どうやら芭蕉晩年の旅の諸相は、この表裏皮膜の展開にあった・・・」

 龍太は、その後も、次のとおり、「旅の詩人」との理解が一般化している芭蕉における根深い土着性について度々言及しており、それは、前述の『俳句は石垣のようなもの』以降一貫して変わらない龍太の芭蕉観であった。

・『俳句の流行』(昭和55年)

・『芭蕉のことなど―山本健吉』(昭和59年)

・『一句の周辺』(昭和63年)

・『ふたりの場合』(平成元年)

 そのような芭蕉観の契機となったのは、『奥の細道』所収の

文月や六日も常の夜には似ず          芭蕉

の作に、露わに表現されている訳ではないが、望郷の思いに根ざした胸奥のつぶやきを聞き取ったことにあるという。

 芭蕉における土着性に着目している点は、山本健吉が『漂泊と思郷と』(昭和52年)などで述べている論旨と共通している。綿密的確な論の展開という点では、健吉の芭蕉論は卓抜なものだが、氏が、芭蕉が「旅の詩人」であるとともに「土着志向の俳人」であったことについて、「芭蕉の人間性の両面」と二つの側面を並置しているのに対し、風土と漂泊を「表裏皮膜のもの」とする龍太の捉え方は、多分に詩人の直感によるものであるとは言え、芭蕉という人の深部に踏み込んだ洞察を示しているようだ。

 そして、『ふたりの場合』と題する一文の中で、龍太は、前述の芭蕉観を述べた後、蛇笏のことに筆を転じ、次のように記す。

「ひと口にいって、蛇笏はたしかに定住土着の詩人であった。・・・同時に、生涯旅を夢みつづけた浪漫のひとでもある。」

  ここでは、旅心と郷愁を表裏一体のものとする前述の芭蕉に対する洞察が、蛇笏の場合に敷衍されている。

 蛇笏の身近にいてその生涯をつぶさに見てきたことが、芭蕉や蛇笏における風土と漂泊が表裏するものとの洞察を可能にしたと思われる。そして、そのような洞察から、一方は旅の詩人、他方は定住、土着の俳人と、一見、「人生行路が真反対」に見える芭蕉と蛇笏の間の意外に太い共通点が見えてくる。 

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