龍太と故郷(5)

野老掘り山々は丈あらそはず(昭和50年)

春の山夜はむかしの月のなか(昭和56年)

涼新た傘巻きながら見る山は(昭和57年)

露の夜は山が隣家のごとくあり(昭和62年)

  これらの作はいずれも「山」がモチーフになっているが、いずれも、「峰」、「嶺」ではなく、「山」という言葉が用いられている。作者が作句に当たって発想の契機にした山は、実際も「隣家のごとく」身近にある低山である場合もあるだろうが、遠望の南アルプスのように実景は「峰」や「嶺」と表記するに相応しい山々の連なりである場合もあると思われる。

  廣瀬直人は、龍太作品では山をモチーフにした場合、「山」という言葉を用いることが多いことを指摘して、「この特色は、単に言葉に対する好悪だけではすまされない、飯田龍太という俳人の生活への意志、ひいては、その思想とも深く関わっているように思われる。」と書いている(『飯田龍太の俳句』)。

  掲出句においては、

雪山のどこも動かず花にほふ(昭和35年)

について作者が自句自解で述べているのと同様、故郷にあって作者が見つづけてきた山々に土着の心のくつろぎが反映し、親しみやすい山の姿となって表れてきているものとみたい。

 円熟期の龍太俳句にみられるこうした特色は、俳句を「普段着の文芸」、「普段着のまま身辺を見、移りかわる自然を新鮮に感受する詩」とする作者の俳句観と表裏するものだろう。

朧夜のむんずと高む翌檜(昭和47年)

貝こきと嚙めば朧の安房の国(昭和49年)

朧夜の猫が水子の声を出す(  〃 )

 季語「朧(月)夜」、「朧(月)」を用いた作品は、一、二の例外を除いて、昭和四十年代後半から、句集でいえば『山の木』以降に現れてきており、円熟期に入った作者の心懐に適う季語の一つであったと思われる。

  掲出句においては、作者は、対象を見据えて描写するというより、対象の内包する目に見えない生命力や山国である故郷とは異質の地の風土など、理性や知覚を超えて存在するものに対して、五感に加えて想像力をいきいきと働かせている。作者の心に余分の負担が掛かっていないことが、身辺にある自然の隅々に目を配り、想像力をいきいきと働かせることを可能にしているといえる。

 掲出の第一句では、高きに伸びようとする翌檜の生命力が「むんず」という擬態語により表わされている。ものの命を育む潤いを帯びた朧夜の大気が、やわらかに翌檜を包んでいる。

 第二句の「朧」は、現に作者を包んでいる大気の状態であると同時に、「安房の国」に対して作者が感じている憧憬と心理的な隔たりの入り混じった感情をも表わしている。

三伏の闇はるかより露のこゑ(昭和48年)

大寒や夜に入る鹿の斑を思ふ(昭和53年)

千里より一里が遠き春の闇(昭和63年)

  さだかに感じられるが五感では捉え難いのが、これらの句で詠まれている「闇」や「夜」の世界、さらには「夢」や「黄泉(よみ)」ではないだろうか。作者はこれらの世界に、五感に加えて、想像力によって迫ろうとしている。

 

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