龍太と故郷(4)

いきいきと三月生る雲の奥(昭和28年)

山河はや冬かがやきて位に即けり( 〃 )

  これらの作品の充実した気息は、作者が、既に、故郷に自らの在りどころを定めたことを思わせる。

 掲出の第一句は、

春めきてものの果てなる空の色        蛇笏

と同年の作である。いずれの作にも、長い冬を経て春を迎えた山国人の心の昂揚がある。しかし、蛇笏の視線が遠く、故郷の外の「ものの果て」に注がれ、旅を含めて遙かなものに憧れ、誘われる浪漫の精神が表れているのに対し、龍太の視線は、故郷の春を特徴づける三月の雲の白さに向けられている。同年同時季に作られた両句における蛇笏、龍太の視線の向かう対象の違いは、両者の詩情の質の違いを端的に表しているようだ。

 山本健吉は、龍太の詠む雲を「思郷そのもの」と評した(『山廬・山居・山家』)。氏は、芭蕉が故郷伊賀に対して抱いていた愛惜の思いを「思郷」と表現したのだが、龍太にも芭蕉の「思郷」に通じる心根を認めているのだ。

  掲出の第二句から思い浮かぶのは、

芋の露連山影を正うす                蛇笏

である。どっしりとした存在感、重量感という点では、龍太の「山河」は蛇笏の「連山」に及ばないが、龍太作には、「位に即けり」という抽象的な措辞を一句に定着させて、一読、雪を頂いた嶺々のシャープな耀きを想像させる。

大寒の一戸もかくれなき故郷(昭和29年)

村々を眺めて叩く冬布団(昭和44年)   

  掲出の第一句は、句集『童眸』の冒頭に収められている。「後山」と呼ばれている住まいの裏手の小高い所から見渡した故郷の印象であろう。この句の強い気息には、故郷に住みとおしていく決意が感じられる。また、「かくれなき」は、真冬の故郷を俯瞰した印象であろうが、それとともに、目に見えるもの、五感で感受したものを描き切ろうとする表現者としての意志、意欲も読み取れる。

 第二句は句集『春の道』に収められており、「大寒の」の作から十五年を経過している。同年には、

水霜の村眺めゐし神無月(昭和44年)

という作もあり、作者が高みから故郷や周りの村々を眺めているという構図において、これらの句と「大寒」の句とは共通している。

 『春の道』所収のこの両句とも、龍太作品の中で特別に秀抜な作ではないが、定住する故郷にあって平穏な日々を愛しんだ作者らしい諸作といえよう。

 「大寒」の句には、朝方の凛冽たる寒気がある。一方、「村々」の句では、冬の午後の日差しがやわらかに作者や村々をつつんでいる。「大寒」の句の強い気息は、前述のように、定住の心が定まった壮年期の作者の意欲的な内面を思わせるのに対して、「村々」の句においては、作者は、故郷の住人の一人として「村々」に溶け込んでいる。

  十五年を隔てた両句のこうした違いは、この間の定住、土着が作者の内面にもたらした変化を示しているようだ。

 また、「村々」の句のように故郷における平穏、自適の日々を何の奇もなく淡々と詠った諸作の根底には、戦中から戦後にかけての作者の痛切な体験が横たわっているように思う。

雪山のどこも動かず花にほふ(昭和35年)

 龍太は、この句について次のように自解している。

「四十余年、見つづけて来た山々、特に春の白根三山の雪の姿が、それを見つづけた土着の眼で把え得た」

 そして、さらに続けて、「(この句には)特に白根の特色が出ているとは思わぬ。・・・土着のこころには、かえってそんなくつろいだところがあろうか。」と記す(『自選自解飯田龍太句集』)。

 遠望の白根三山が、作者の土着の目を通すと、作中では親しみ深い「雪山」の姿として表れる。作者の土着の心の在りようが山々の姿に投影されている。

 また、龍太は、「初心を見失わぬ努力」と題する一文の中でもこの句について触れ、

奥白根かの世の雪をかゞやかす        普羅

と比較しながら、「私の作品には、普羅の句のような旅心のたかぶりはない。土着の故か。そこに浸っていくぶん茫洋のおもいに眼を細めて生れた句。」と述べている。

  以上の二度にわたる自解は、この句が、作者の心懐に適う愛着の一句だったことを示している。

 前述の『自選自解飯田龍太句集』の自解の文中には、「見つづける」との措辞が二度出てくる。「見つづける」ということは、行きずりの旅行者の目でなく、定住、土着している人の目で、対象を日常的に見るということである。

 芭蕉は、句作りの心得として、「物の見えたるひかり、いまだ心に消えざる中に云ひとむべし」と言った(『三冊子』)。「乾坤の變」のただ中にある対象のいのちのひかりを捉えて句に表現として定着させていくことの大切さを説いたものである。この芭蕉の言葉が、流動変化する万象の中にあっての句作りの心得であるのに対し、土着者として長い年月の間「見つづける」ことにより、初めて見えてくるものの姿があるという前述の龍太の言葉は、天地自然の中にあって変わらないものに焦点が当てられている。それは、龍太が自らの定住、土着をとおして見出した作句の要諦だろう。

  「見る」、「眺める」との措辞は、俳句では一般的に省略されることが多いが、龍太俳句ではしばしば用いられる。

村々を眺めて叩く冬布団(昭和44年)   

涼新た傘巻きながら見る山は(昭和57年)

 掲出の第一句では、作者は、布団を叩きながら、山間に点在する故郷の「村々」を眺めている。それは、山住みの作者の自適の日常のさり気ない一齣であり、「村々」も日常の平穏な姿のままである。それは、定住、土着する作者が見つづけてきた故郷の姿であった。

 第二句において、傘を巻くという日常の動作を休めることなく作者が何気なく見ている山は、これまで見つづけてきた見慣れた姿であり、新奇なところは何も無いが、それだからこそ、上五に置かれた季語の「涼新た」が、自適のくつろぎを表わすものとして盤石の座りを示す。

  以上のような故郷にあっての自適のくつろぎが表出された作品が現われてくるのは、概ね、句集『忘音』以降である。

子の皿に塩ふる音もみどりの夜(昭和41年)

熱き湯に水さす春の夕餉どき(昭和42年)

  同句集に収められているこれらの句には、家居の夕餉どきの自適の心がある。作者にとって、故郷に定住することのよろしさが最も意識されるのが、夕餉どきなのだ。

 第一句は、初夏の夜、一家団欒の食卓に向っている情景である。この句には、一家団欒の愉しさに加え、故郷の瑞々しい「みどり」に包まれて暮らす安らぎがあるだろう。

 第二句では、春の夕暮れ時、煮え滾った鉄瓶に水を差すというさりげない日常の動作から、山住みの作者の自適の心が見えてくる。

  句集『忘音』は、『現代俳句全集』第一巻―自作ノートで作者自身が述べているように、「母への鎮魂の思いが主軸をなす」句集であり、その思いを背景にした沈潜の詩情を特徴とするが、他方で、掲出句のように、悲しみを潜めながらも「くつろぎ」の詩情をたっぷり含んだ諸作が作品の柱の一つになっていることを見落とすことはできない。

眼のとどく限り見てゐて年の暮(昭和60年)

  この句においては、忙しない年の暮に束の間の閑を得て遠くを見渡すという土着者の日常のさり気ない動作だけが表現されており、村々や四囲の山々など見つづけてきた対象についての具体的な描写は省略されている。見る対象についての表現を省略しても、土着者としての作者の「心の色」(三冊子)が自ずから表れていることに注目したい。眺めている作者は眺める対象である故郷の自然に溶け込んでいるのだ。

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