龍太と故郷(2)

飯田龍太は、学業のために出京していた一時期を除けば、故郷の境川村を離れることはなく、定住、土着の俳人として終始した。龍太にとって、故郷はいつも厳として存在する現実だった。

 「基本的には、俳句は日常的なものだと思います。・・・しかし、俳句の日常というのは親しみて狎れず、ということが大事でしょうね。」という龍太の談話(インタビュー『わが俳句を語る』)は、故郷に住みとおしてきた俳人としての実感から出た言葉だろう。故郷に住み続けていながら、目に触れ、耳に聞こえるものを絶えず新鮮に感受していくことの大切さと困難さをこの言葉は示している。

その年のその日のいろの薺粥(昭和53年)

  この句などは、「親しみて狎れず」ということを実作をもって示した一例だろう。句集『今昔』には、「雲母京都支社句集『七野』に」との前書きが付されており、合同句集出版に対する祝意を込めた作であるが、前書きがなくても、「薺粥」という単一の素材に焦点を絞った作として、十分鑑賞に堪える句である。

 「薺粥」は、正月七日には毎年食卓に上るものであり、掲出句からは、作者の「薺粥」の淡い色合いに対する感受の細やかさとともに、実際には毎年のように目にする対象であっても、その対象に狎れずに、「一期一会」の心得で接しようとする作者の心ばえが見え、定住、土着の日常の中で、身辺の対象を常に新鮮に感受していこうとする作者の志向が窺える。

  前述のインタビューにおける「親しみて狎れず」との龍太の言葉は、故郷に定住・土着して俳句を作り続けた歳月がその背景にある。

 以下では、時間を半世紀近く遡り、先ずは、故郷に定住することになった昭和二十年代の龍太の初期作品からみていくこととしたい。

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