蛇笏の場合についてみてみたい。
鼈をくびきる夏のうす刃かな 蛇笏
夏雲むるるこの峡中に死ぬるかな 〃
第一句では、いささか血腥い情景が詠まれているのだが、ポイントは「夏のうす刃」との措辞だろう。季語の使い方としてはやや強引だが、この措辞により、「鼈」をくびきった「うす刃」の冷たい光や辺りに飛び散っている血など、その場のなまなましい情景を余さず表現し得ている。
第二句の「夏雲」には、盛夏にあって己を誇示するような生気があり、「むるる」という措辞により捉えられているそのなまなましい存在感が、作者に、自らに残された生、そしてその先にある死についてのイメージを喚起したのだろう。
作句に当たり、対象と相対して、そのなまなましい存在感、言わば対象の「現実の相」を作品に定着しようとする蛇笏の姿勢については、明治大正期の自然主義文学の影響もあったと思われるが、この姿勢は終生変わらなかった。
葉むらより逃げ去るばかり熟蜜柑 蛇笏
荒潮におつる群星なまぐさし 〃
これらの蛇笏最晩年の諸作は、病床における想像或いは回想によるものだったであろうが、作中の「熟蜜柑」や「群星(むらぼし)」は、実物、実景以上のなまなましい存在感をもって読む者に迫る。
龍太は、『俳句の地方性と土着性と』と題する一文の中で、蛇笏最晩年の作を挙げながら、「こうした作品のなまなましさ。あるいは老い難い詩情の憂心は、つまるところ、土着定住の全き安息から生まれるものではあるまい。」と指摘している。
蛇笏は、最晩年まで、俳句に「泥臭さ」を求めたが、土着の俳人と言われながらも、故郷に全く同化していたのではなく、定住土着という現実の中で、旅や遥かなものへの憧れなど、現実と相容れない、宥め難い心情を内面に抱えていた。掲出した最晩年の諸作のもつなまなましさは、そのような内面の表れでもあるだろう。