飯田龍太には、雲を詠んだ句が数多くある。雲は、視線を上へ向ければその先に浮かんでいて、季節ごとに多様で細やかな表情をみせる。それは、山国であれば山々に調和し、海辺であれば海原の風景に溶け込む。龍太が詠む雲は、多くの場合、定住する山中にあって親しみ愛しんだ景物の一つである(以下、文中に掲出する龍太の俳句については、原則として、作者名を省略し、作られた年を(昭和○年)のように作品の下に付記する。)。
雲の峰祭の夜をうつくしく(昭和20年以前)
夕されば春の雲みつ母の里(昭和23年以前)
黄金虫うす雲竹のかなたにて(昭和26年)
句集『百戸の谿』所収の初期作品にはこんな句がある。どの句においても、雲は、故郷に定住する作者の身近に、ごく自然に、周りの風景に溶け込んで存在しており、若き龍太が雲に寄せる親しみの情が自ずから表れている。
雲の句を数多く詠んだのは龍太に限ったことではない。
ゆく雲にしばらくひそむ帰燕かな 蛇笏
夏雲むるるこの峡中に死ぬるかな 〃
山柿のひと葉もとめず雲の中 〃
山国の空を絶えず去来する雲は、その時々の心情を託す対象として、蛇笏作品に度々登場し、ときには漂泊への思いを誘うものであった。蛇笏には、『白雲山廬』と題するエッセイがあり、この題名自体、「白雲」に対する作者の親しみを示すものだが、そのエッセイの中で掲出の第2句について、「白雲山中の逍遥子をしてこの自然が感懐をうたわしめた。」と記している。
輝る雲に果樹園の冬定まりぬ 直人
裏山にひかる雲積み蛇笏の忌 〃
夕暮は雲に埋まり春祭 〃
第一句集『帰路』から掲出した。廣瀬直人には、その後も多くの雲を詠った作がある。これらの諸作における雲は、当てどなく漂流するのではなく、郷里の景物の一つとしてそこに根を張っており、時には作者を包み込む。
比較のために高浜虚子の句をみると、虚子にも雲を詠った作はあるが、
一塊の雲ありいよいよ天高し 虚子
など、概ね、スケッチ風の軽い句であって、虚子の代表作といえるような作品はない。虚子にとって、雲は、自らの心情を託すに足る景物ではなかったのだろう。