「棒鱈(ぼうだら)」は「干鱈」の傍題で春の季語。鱈を三枚におろして固く素干しにしたもの。
掲句は築地場外市場で見かけた光景を句にしたもの。干物屋では、煮干しなどが並んだ上に、風に捩れたような形をした棒鱈が、銭入れ籠とともに店先に吊ってあった。北国の荒々しい風土の爪痕が、その棒鱈に残されているように見えた。平成22年作。
「棒鱈(ぼうだら)」は「干鱈」の傍題で春の季語。鱈を三枚におろして固く素干しにしたもの。
掲句は築地場外市場で見かけた光景を句にしたもの。干物屋では、煮干しなどが並んだ上に、風に捩れたような形をした棒鱈が、銭入れ籠とともに店先に吊ってあった。北国の荒々しい風土の爪痕が、その棒鱈に残されているように見えた。平成22年作。
「冴返る」は、立春を過ぎてようやく春めいた頃、再びぶり返す寒さのこと。「余寒」「春寒」など同種の季語はあるが、より感覚的な表現。
掲句は東京の憲政記念館に展示されていた1個の銃弾の印象が契機になった作品。それは、1909年10月26日にハルビン駅頭で起きた伊藤博文暗殺事件で放たれた銃弾の一つだった。ハルビン駅のホームに降り立った伊藤が、ロシア要人らと握手を交わしていところ、群衆を装って接近した韓国の独立運動家が伊藤をめがけて拳銃を放ったのだ。展示されていたのは小指の先ほどの銃弾だったが、私はしばらくそれから目を離すことができなかった。平成23年作。
紅色の花の梅のこと。白梅のもつ高雅な雰囲気とは別の親しみやすい印象がある。花の紅色にも濃淡があり、大盃、玉光、五節の舞、唐梅、緋の司、紅千鳥、八重松島、楊貴妃など多数の品種がある。俳句で単に「梅」という場合は白い花びらの白梅をさすことが多い。一般的に、紅梅の花期は白梅よりやや遅い。

立春後を過ぎて、次第に春らしくなってくること。気温が上昇し、冬の間潜んでいた生きとし生けるものが動き出し、木々の芽も動き始める。目や耳で捉えたものにも、開放感のあるうきうきした気分にも言う。

春になっても、まだ解けないで残っている雪。町中では、日の当たらない家裏や庭の隅、雪を掻き寄せた道端などに、汚れながら雪が残っている。山野では岩や山の陰にべったりと雪が残る。遠望の山肌の残雪が日に輝くのは、印象的な春の風景だ。山に残る「雪形(ゆきがた)」は、種まきの時期などを知る目安となってきた。
