小春の日和に誘われて、本来春に咲く草木が季節外れの花をつけること。サクラ、ツツジ、ヤマブキ、タンポポなどで見られる。花に乏しい季節における、自然からの授かりものといった趣がある。返り花、忘花、狂花などともいう。


小春の日和に誘われて、本来春に咲く草木が季節外れの花をつけること。サクラ、ツツジ、ヤマブキ、タンポポなどで見られる。花に乏しい季節における、自然からの授かりものといった趣がある。返り花、忘花、狂花などともいう。


山寺の悲しさ告げよ野老掘り 芭蕉 『笈の小文』旅中の作で、真蹟懐紙に「菩提山即時」との前書きがある。芭蕉は貞享4年12月中旬旅の途次に帰郷し、翌2月、亡父の三十三回忌追善法要に参列。掲句はその後訪れた菩提山での作。菩提山は菩提山神宮寺のこと。伊勢市中村町朝熊山の西の尾にあった聖武天皇の勅願寺で、鎌倉中期に大伽藍が消失して以降、当時は荒廃していた。菩提山のほとりで、折りから野老(ところ)を掘っていた里人に、この山の悲しい転変の歴史を語ってくれよと呼びかけた。
この山の悲しさ告げよ野老掘り 芭蕉 『笈の小文』に収められている句形。「山寺の」では、対象と距離を置いた第三者的なよそよそしさがあるが、「この山の」と推敲したことにより、作者と対象との距離がぐっと近くなった。荒廃した寺に佇む作者の嘆きが聞こえてくるようだ。普段は何気なく使う「この」という近称の指示連体詞も、使い方によっては効果的であることを改めて認識させられる推敲だ。
冷(すさ)まじは、冬近い頃の冷然、凄然とした気配。多分に心理的な意味合いがある。
掲句の「起きてすぐ筆とる」とは、ものを書くことを生業としている人の、或いは、句作・選句などを含めてものを書くことを生活の芯にしている人の生活ぶりが想像される。作者はそのような自らの暮らしを、冷まじと感受した。ものを書くという営みに明け暮れる自らの暮らしに対するやや突き放した眼差しが感じられる。『俳句』2023年12月号。
四季を通しての月ではあるが、俳句で単に月といえば秋の季語。冬の月は、冬の冴え冴えと冷え切った大気の中で見上げる月であり、荒涼とした寂寥感と一種凄絶な美しさがある。
