芋虫の中でも揚羽蝶の幼虫はユズ、カラタチなどの柑橘類の葉を食べるので柚子坊ともいう。初め黒色で、成長すると緑色になる。
掲句は柚子坊と目が合ったという、ただそれだけのことを言いながら、秋晴れの清々しい空の下での生き物同士の交感を描いた作品。柚子坊には確かに黒い斑点のような目が二つある。柚子坊がその時人間をどのように認識したのかは問うまい。人間と柚子坊という二つの生き物が目を合わせて挨拶を交わしたのだ。『俳壇』2023年12月号。
紅葉した木の葉が散ってゆくこと。初冬の頃、紅葉は街を行く人に散りかかり、地に水に吹き溜まり、また、流れ去る。雨が降ったり、強風が吹いたりするとおびただしく散る。散り敷いた紅葉はゆっくりと褪せ、景色は色彩を失って冬の様相を呈していく。紅葉が大方散って枯木になった梢には、一抹の寂しさがある。なお、単に「紅葉」といえば秋季だが、「冬紅葉」「紅葉散る」は冬季になる。


スズメ目ヒヨドリ科の留鳥又は漂鳥。全体に灰色で頬が赤褐色。ピーヨ、ピーヨと甲高い声で鳴く。営巣期を過ぎる秋から冬、早春にかけて群れで生活し、柿などの果実を啄んだり、椿や山茶花の蜜を吸う姿をよく見かける。四季を通じて姿を見る身近な鳥だが、秋に温かい平地に移る個体も多く、人里でよく見かけるようになるので、秋の季語になっている。

残暑しばし手毎に料れ瓜茄子 芭蕉 元禄2年旧暦7月20日、金沢の犀川のほとりにあった斎藤一泉の松玄庵に招かれて作った発句。『西の雲』には「松玄庵閑会即興」との前書きがある。当日半歌仙を巻いたという。「残暑しばし」は残暑の中に感じられる涼しさを言外に含んでいる措辞。それが庵主一泉への挨拶になっている。
秋涼し手毎にむけや瓜茄子 芭蕉 『おくのほそ道』に載った最終形。「ある草庵に誘はれて」との前書きがある。採りたての瓜や茄子をもてなされた喜びや心の弾み、庵主や参会者への親愛感が、「むけや」との呼びかけに表れている。「残暑しばし」と「秋涼し」の優劣は一読明らかだ。当日はまだ暑さが残っていたのだろうが、「残暑しばし」では庵主への挨拶の意やその場の寛いだ雰囲気が十分には表れない。
「臘月(ろうげつ)」は師走、極月などとともに旧暦12月の異称。「臘」は、冬至後の第三の戌の日に行われる中国の祭のことで、猟の獲物が神や祖先に祀られるという。この「臘」が転じて、年の暮や旧暦12月を「臘月」とも呼ぶようになった。
掲句は長野の野辺山高原から東に連なる秩父山系の山々を眺めていてできた一句。山々は夕映えながら、山襞は濃い翳となっていた。それぞれの山襞には集落があり、古くから人々が定住して生活を営んでいることを思った。上五は「十二月」「極月や」でもよかったが、「臘月」という古い言葉の味わいを活かしたかった。平成16年作。『河岸段丘』所収。