冬になって咲く菊で、花の色は黄、白など。秋に咲くものより花も葉も小さい。暖地の日当たりのよい山野に自生するほか、園芸用に庭などに植えられる。


冬になって咲く菊で、花の色は黄、白など。秋に咲くものより花も葉も小さい。暖地の日当たりのよい山野に自生するほか、園芸用に庭などに植えられる。


夏馬の遅行われを絵に見る心かな 芭蕉 天和3年夏甲州都留郡谷村の門人、谷村藩家老高山麋塒(たかやまびじ)邸に寄寓した折の歌仙の発句。天和2年12月の江戸大火により芭蕉庵が類焼したため、この時期芭蕉は甲斐郡内の門人宅に身を寄せていた。『俳諧一葉集』には、「甲斐の郡内といふ處に至る、途中の苦吟」との詞書が付されて 夏馬ぼくぼくわれを絵に見る心哉 芭蕉 の句形で掲載。初案の改案と思われる。のろのろ歩く様を表す「ぼくぼく」という擬態語は効果的だが、上五の「夏馬」は熟さない措辞だし、「心哉」の下五は自己を客観視する意図があらわに出過ぎている嫌いがある。
馬ぼくぼくわれを絵に見る夏野哉 芭蕉 最終形はこの句形になった。『水の友』には、画賛として、「笠着て馬に乗りたる坊主は、いづれの境より出でて、何をむさぼり歩くにや。この主の言へる、これは予が旅の姿を写せりとかや。さればこそ、三界流浪の桃尻、落ちて誤ちすることなかれ」との詞書が付されている。当初から画賛だったのではなく、自らを画中の人物として客観化する発想の作品であることが、画賛への転用を思いつかせたのだろう。「ぼくぼく」の擬態語を用いたことで、暑い野道をのろのろ歩く馬に揺られている旅中の芭蕉の姿が彷彿する。自己を客観視することで、旅中の苦しみを句作の糧に変えているともいえる。擬態語の表現効果について、認識を新たにする一句だ。
季語「寒し」は、気温が著しく下がったときの皮膚感覚で感じる寒さのほか、対象のもたらす心理的な寒さにも使われる。冬の季語としては最もポピュラーな言葉の一つ。
掲句はデパ地下の鮮魚売り場での一句。鯛のぶつ切りがパッケージされて売り場に並んでいた。ぶつ切りの中の目が何かを訴えているように私を見ていた。平成17年作。『春霙』所収。
(特に、太平洋側の地域で)冬季に晴天が続いて雨が降らないこと。冬型の気圧配置がもたらす北西の季節風は、日本海側に雪を降らせる一方で、太平洋側には乾燥した冷たい風となって吹き下ろす。単に「旱」といえば夏季。


地面・水面に落ちてしまった葉や梢にわずかに残っている葉のことで、冬の季語。秋を過ぎ冬になると、落葉樹から降るように葉が落ちてくる。「木の葉雨」「木の葉時雨」などともいう。
