秋風といっても、暑さが残る初秋の頃の風から、晩秋の頃の日ごとに冷気を加えてゆく風まで、その趣は幅広い。
掲句は武蔵国分寺跡を訪れたときの作品。真っ平らな芝生のところどころに金堂の礎石だけが遺されていた。その一つに腰掛けて、千年前の光景を想像した。鵙が、近くの木の天辺で声を放った。目に見えない筈の風が見えるように感じられるほど、遠くまで空気が澄み切っていた。平成18年作。『春霙』所収。
秋風といっても、暑さが残る初秋の頃の風から、晩秋の頃の日ごとに冷気を加えてゆく風まで、その趣は幅広い。
掲句は武蔵国分寺跡を訪れたときの作品。真っ平らな芝生のところどころに金堂の礎石だけが遺されていた。その一つに腰掛けて、千年前の光景を想像した。鵙が、近くの木の天辺で声を放った。目に見えない筈の風が見えるように感じられるほど、遠くまで空気が澄み切っていた。平成18年作。『春霙』所収。
飯田蛇笏(本名武治)は昭和37年10月3日郷里の山梨県笛吹市旧境川町の自宅で死去。77歳。早稲田大学を中途退学して帰郷し句作に専念。大正年代の『ホトトギス』の雑詠欄(虚子選)で活躍し、のちに『雲母』主宰。代表句に〈芋の露連山影を正しうす〉〈誰彼もあらず一天自尊の秋〉など。秋がたけなわになる頃、蛇笏忌が巡ってくる。蛇笏の句風については、「・・俳句のもつ格調の高さ、正しさにおいて、ついに彼の右に出づる者は見当たらぬのである。」との山本健吉の評がある。

秋の夜が長く感じられること。夏至を過ぎると夜は一夜ごとに伸び、秋分を過ぎると、昼よりも夜が長くなる。暑い夏を越して涼しい夜が長くなるところに、秋という季節の醍醐味がある。春の日永(ひなが)、夏の短夜(みじかよ)、秋の夜長、冬の短日(たんじつ)には、それぞれの季節に対する人々の感じ方が表れている。

鶏頭は古く大陸から日本に到来したヒユ科の一年草で、鶏冠(とさか)のような花の形にはどこか妖艶な印象がある。
掲句は、鶏頭から受ける印象を「人間臭き」と表現した。「影」は昼間の地面や塀に差す鶏頭の影とも、夜闇に紛れつつ立つ鶏頭の姿ともとれる。作者は、その影に人間に似た雰囲気を感じ取った。人間と鶏頭とは、雰囲気が似た生き物同士なのかも知れない。『俳句』2023年10月号。