金魚は鮒の観賞用に改良された飼育品種で、中国から日本に移入されたのは室町時代末期。和金、琉金などの在来品種を含め、多くの品種がある。
掲句は、光源氏という名の金魚が、水槽の藻を突(つつ)いているという。光源氏は、周知のように『源氏物語』の主人公。おのずから、豊かな鰭をもつ華麗な金魚が水槽を鷹揚に泳ぎまわる様が思い浮かぶ。軽い感興に発した作品だが、光源氏という金魚の名の意外性が、作品に豊かな余情をもたらしている。『俳句』2023年10月号。
秋分の日(9月23日頃)を中日として、その前後3日間ずつ、計7日間をいう。秋分の日は太陽が真東から昇り真西に沈むが、真西には阿弥陀如来の西方極楽浄土があるとされている。春分の前後7日の春の彼岸と同様、仏壇におはぎ等を供え、仏壇仏具の掃除や墓参りを行う。これらは、日本の祖霊信仰と仏教の教えが結びついた供養行事であり、亡き先祖に感謝し、その霊をなぐさめ、自分も身をつつしみ極楽往生を願う日本特有の風習とされる。俳句で単に彼岸と言えば、春の彼岸を指す。

カブやダイコンの芽生えで、双葉が種子の殻を破って出てきたものをいう。二枚貝が開いたような形からこの名がある。これらは秋の初めに種を蒔くが、貝割菜が出てきた後、数日ごとに間引く。間引菜は食用になる。

夕顔に米搗き休むあはれかな 芭蕉 天和年間の作。高山麋塒(たかやまびじ。江戸出府の折芭蕉の門人となった甲斐谷村藩の国家老)旧蔵の真蹟短冊中の一句。「夕顔卑賎」との前書きのある真蹟懐紙もあるという。夕顔は、『源氏物語』夕顔の巻以来、貧家に咲く花として詩歌に詠まれてきた伝統があり、句は、その伝統的情趣に沿って、夕顔と米搗きを生業とする労働者を取り合わせた。句は頭の中で組み立てた感があるが、芭蕉が江戸市中で見かけた米搗きの現場がベースになっていることも確かだろう。
昼顔に米搗き涼むあはれなり 芭蕉 貞享4年に上梓された『続の原』にはこの形に推敲された。露伴は、「朝顔」や「夕顔」と比べて、「昼顔や」が「いかにも米搗きの風情が出ている」と評したが、そのとおりだろう。日盛りの中に小さく花をつけている「昼顔」と、吹き出る汗を拭きながらもの陰で一休みしている米搗きの姿が、自ずから目に浮かんでくる。「夕顔=貧家に咲く花」との伝統的発想から離れて、新しい昼顔の情趣を発見したところにこの句の意義がある。
竹の春は、筍の生える春から初夏にかけて勢いが衰えた竹が、秋になると元気を取り戻し、緑鮮やかな色合いを呈すること。
掲句は、林芙美子(1903-1951)が晩年の10年間を過ごした林芙美子記念館(新宿区中井)を訪れたときの作品。庭を巡った後、生前のままの雰囲気を保っている書斎に足を踏み入れたとき、ふと、芙美子その人がそこに座って執筆を続けているような錯覚を覚えたのだった。平成21年作。『春霙』所収。