笑栗(えみぐり)ともいう。栗の傍題。栗の毬が裂けて落ちそうな状態になること。毬は初め淡い緑色をしているが、成熟するにつれて褐色となり、裂け目が生じ実が弾けて落ちる。微笑むというより、呵々大笑している感じだ。


笑栗(えみぐり)ともいう。栗の傍題。栗の毬が裂けて落ちそうな状態になること。毬は初め淡い緑色をしているが、成熟するにつれて褐色となり、裂け目が生じ実が弾けて落ちる。微笑むというより、呵々大笑している感じだ。


虹は、太陽の反対側の雨上がりの空に現れる。雨が降り続いているうちに虹が現れることもある。変わりやすい天候の日に見えることが多い。
歳時記の例句には「虹の橋」「虹の輪」などの表現は散見するが、「虹の梁」との措辞の作例はないようだ。「梁」は家の棟をささえる横木のことで、「はし」「かけはし」との意味もあるので、「虹の橋」と同様の意味合いと取っていいだろう。掲句は、雨上がりの空高く立つ虹を一羽の鳥が風切羽を見せてくぐっていったとの句意。風切羽(かざきりばね)は鳥の翼後方に整列している一連の羽根のこと。これがないと鳥の飛翔が不可能になる翼の中でも大事な部分だ。鳥の命そのものともいえる。虹は、翔けてゆく鳥の命に華やぎを添えている。『俳句』令和5年10月号。
屏風には山を画書いて冬籠り 芭蕉 元禄2年作。『蕉翁全伝』に「平沖にての事」との注がある。平沖(へいちゅう)は伝不詳だが伊賀の人。「おくのほそ道」の旅の後、故郷伊賀に滞在中の作。主人の冬籠りの様を描写した作品だが、「山を画書いて」が単なる説明に終っており、やや平板な作品であることは否めない。
金屏の松の古さよ冬籠り 芭蕉 前掲の「屏風には」の作とは別の作品として整理することもできるが、『三冊子』によると前掲の句の改作という。元禄6年10月9日付けの許六宛真蹟書簡には「野馬と云ふもの四吟に」との前書きがある。弟子たちと巻いた連句の場で、意に添わなかった4年前の旧作をふと思い浮かべて、改めて想を練ったのかも知れない。松の古さを言ったことで、金屏の古さを暗示し、富家の冬籠りの情趣を形象化した。改作前と比べ、画竜点睛の妙を得た作品といえる。
芙蓉の園芸品種で、本州の暖地を中心に自生している。他の芙蓉と同様、朝花が咲き夕方には萎んでしまう一日花だが、朝の咲き始めは白く、午後にはピンク色になり、夕方からさらに赤くなるのでこの名がある。一重のものと八重のものがある。

南アメリカ原産のナス科キダチチョウセンアサガオ属の常緑低木で、日本には江戸時代に薬用植物として伝来。以前はチョウセンアサガオ属(ダチュラ属)に分類されていたためダチュラ(朝鮮朝顔)と呼ばれることもあるが、正確にはダチュラとは別種。夏から秋にかけて白、黄やピンク色の大きなラッパ状の花がぶら下がるように開花する。なお、歳時記には、ダチュラ(朝鮮朝顔)は夏季に分類されている。
