秋灯(しゅうとう)は秋の夜の灯火のこと。ひんやりと澄んだ夜気の中で卓上の灯をともす。読書や勉強に過ごすのに適した秋の夜である。
掲句の対象は小学年低学年くらいまでの児童だろう。宿題だろうか、好きな絵を描いているのだろうか。夢中になって何か書いている子供。鉛筆の文字や絵に肘(ひじ)が触れていたため、指や手はおろか、肘まで真っ黒に汚れてしまっている。誰もが身に覚えがあることだが、「秋灯下」と据えることで、季節感豊かな微笑ましい一句になった。『俳句四季』2023年9月号。
秋灯(しゅうとう)は秋の夜の灯火のこと。ひんやりと澄んだ夜気の中で卓上の灯をともす。読書や勉強に過ごすのに適した秋の夜である。
掲句の対象は小学年低学年くらいまでの児童だろう。宿題だろうか、好きな絵を描いているのだろうか。夢中になって何か書いている子供。鉛筆の文字や絵に肘(ひじ)が触れていたため、指や手はおろか、肘まで真っ黒に汚れてしまっている。誰もが身に覚えがあることだが、「秋灯下」と据えることで、季節感豊かな微笑ましい一句になった。『俳句四季』2023年9月号。
秋の一日にも、秋の太陽や日差しにもいう。立秋を過ぎても太陽は容赦なく地上に照り付け、厳しい残暑をもたらす。しかし、秋の半ばを過ぎるとしだいに空は高く、大気は爽やかになり、晩秋には目に見えて日差しも衰える。秋の一日は、秋分を過ぎるとしだいに日が短くなり、冬が近づくころには、釣瓶落としいわれるように、一気に暮れてしまう。

飯田蛇笏(本名武治)は、昭和37年10月3日郷里の山梨県境川村(当時)で逝去。折から秋たけなわになる時節。代表句〈芋の露連山影を正うす〉は、丁度蛇笏忌の頃の大気の澄みが感じられる作品だ。
掲句は蛇笏忌の頃、明け方の川べりを歩いていての作品。辺りはまだ夜の気配が占め、頭上の月が皓皓と川面を照らし出していた。月光が「跳ね」と把握したことがこの句のポイント。平成22年作。
「燕帰る」の傍題。春に渡ってきた燕は営巣期が過ぎると、秋に南方へ帰ってゆく。晩夏から初秋にかけて、燕はだんだん飛翔高度を上げ、高空に仰がれるようになる。
