木々の葉が紅葉しながら、同時に散るさま。黄葉した葉が落ちることを「黄落」というが、「黄落」と「紅葉かつ散る」は対になる季語(秋季)だ。桜などは8月頃から「紅葉かつ散る」さまがみられる。木に残る葉がいつしか少なくなっていることに気づくのは秋が深まる頃。単に「紅葉散る」といえば冬の季語。

木々の葉が紅葉しながら、同時に散るさま。黄葉した葉が落ちることを「黄落」というが、「黄落」と「紅葉かつ散る」は対になる季語(秋季)だ。桜などは8月頃から「紅葉かつ散る」さまがみられる。木に残る葉がいつしか少なくなっていることに気づくのは秋が深まる頃。単に「紅葉散る」といえば冬の季語。

ななかまど(七竈)は、バラ科ナナカマド属の落葉高木。晩秋の深紅で燃えるような紅葉もいいが、落葉の後に残っている赤い実も風情がある。
掲句は長野の野辺山高原での作品。間もなく雪が覆うであろう晩秋の山々は、澄んだ空気の中で荒々しい山膚を見せていた。畑と駐車場の境のななかまどの葉が、真っ赤に色づいていた。令和2年作。
夏の終わりのこと。夏終る、夏惜しむなどともいう。人を虐げるような暑い夏の過ぎ去ろうとしている安堵感と、夏を惜しむ思いが交錯する。厳しい暑さの続く立秋前後でも、帰省先や避暑地などでは、夜空や雲の光に、夏の終わりを感じさせる瞬間がある。

露は、地球上の水の循環にともなう現象。大気中の水蒸気が、夕方から夜、明け方にかけての気温の低下により木々や草に結露する。四季の中では秋に顕著に現われる現象だ。古来から、生命のはかなさの譬えに用いられてきた。
掲句は、目の前の蜘蛛の吐く糸のひかりに触発されてできた作品。林中に差し込む日差しを受けて、木や草に凝った露とともに、蜘蛛の吐く糸がきらきらと光っていた。爽やかに晴れた朝の光景だが、限りある蜘蛛の命やその営みのはかなさに対する思いもあった。令和元年作。