「夜涼」は季語「涼し」の傍題で、夜になって感じられる涼しさをいう。暑い夏の一日にも、涼しさが感じられる時間帯があり、朝涼、夕涼、晩涼などというが、「夜涼」もその一つ。近頃は熱帯夜といって、昼の暑さが夜も解消されないことも多くなった。なお、暑気を避けて夏の夜に戸外などで涼むことを「夜涼み」といい、こちらは「納涼(すずみ)」の傍題。

「夜涼」は季語「涼し」の傍題で、夜になって感じられる涼しさをいう。暑い夏の一日にも、涼しさが感じられる時間帯があり、朝涼、夕涼、晩涼などというが、「夜涼」もその一つ。近頃は熱帯夜といって、昼の暑さが夜も解消されないことも多くなった。なお、暑気を避けて夏の夜に戸外などで涼むことを「夜涼み」といい、こちらは「納涼(すずみ)」の傍題。

五月雨(さみだれ)は、旧暦五月頃に降る長雨のこと。丁度田植えどきであり、我々の生活に深く結びついている雨である。雨が降り続くことは鬱陶しくもあるが、雨に濡れた草木は日々繁茂し、いよいよ緑を深めていく。
五月雨の最中、夫(つま)の死を独り悼んでいる。最も身近だった人の死が作者の心にどれ程の悲しみ、嘆きをもたらしたのかは、「夫の死わが心の死」との端的な措辞が語っている。夫の死はすなわちわが心の死だというのだ。「死」のリフレインのモノローグが、誰とも分かち合えない作者の孤心と悲しみを伝える。『俳句』2023年8月号。
天の川が秋の季語となっているように、星は空気が澄んだ秋が美しいとされるが、からりと晴れた夏の夜に屋外に出て仰ぐ星空にもまた格別の解放感がある。降ってくるような涼気の中で、蠍座・射手座・乙女座・牛飼座などの夏の星座を仰ぎ、星のことを語り合う。夏の夜の楽しみの一つだ。

脱皮した蝉のぬけ殻のこと。蝉の幼虫は3~10年ほど地中で過ごして蛹となり、その後地表に出て成虫となる。夏、地上に出てきて最後の脱皮を行い残った殻を「空蝉」、「蝉の殻」などという。殻には眼や節の一つ一つの跡が精緻に残る。
「うつせみ」はもともと「現し身」「現せ身」で生身の人間をさしたが、のちに「空せ身」(空しいこの身、魂のぬけ殻)という反対の意味に転じた。それゆえ「うつせみ」に、ぬけ殻となって空洞である「空蝉」の文字が充てられ、両者のイメージが重なった。



「麦の秋」は、麦が黄熟し刈り入れ間際の頃をいう。関東近辺ではおおむね初夏だが、北海道など関東以北では、より遅い時季になるだろう。「麦の秋」といえば、背景に、黄金色の麦畑の風景を思い描きたくなる。
掲句の碑(いしぶみ)は句碑だろうか、それとも開拓碑、戦役碑の類だろうか。いずれにしても、先人が同時代の人の事跡を記念して建てた碑である。掲句は、麦秋の明るさの中で、忘れられたように立っている碑に刻まれている人の名がみな故人だという。石の方がわれわれ人間の生身よりずっとゆっくり朽ちていくことを、改めて思い知らされる厳然たる事実である。麦秋の明るさの中で、時間のもつ冷徹さを突き付けられる思いがする一句だ。『俳句』2023年8月号。