ナデシコ科の多年草。低地や山地の日当たりのよい草地や川原に自生するほか、多くの園芸品種が作られている。日本での自生種は河原撫子など4種。夏から秋にかけて白又は淡紅色の花を開く。秋の七草の一つであり、歳時記でも秋の季語として掲載されているが、実際には花期は6~8月であり、夏季、秋季のいずれに分類するかは微妙なところ。中国から平安時代に渡来した 唐撫子(石竹)に対して、在来種を大和撫子とよぶ。

ナデシコ科の多年草。低地や山地の日当たりのよい草地や川原に自生するほか、多くの園芸品種が作られている。日本での自生種は河原撫子など4種。夏から秋にかけて白又は淡紅色の花を開く。秋の七草の一つであり、歳時記でも秋の季語として掲載されているが、実際には花期は6~8月であり、夏季、秋季のいずれに分類するかは微妙なところ。中国から平安時代に渡来した 唐撫子(石竹)に対して、在来種を大和撫子とよぶ。

蠅叩は蠅を打ち殺す道具。身辺から蠅がいなくなり、日常生活で蠅叩を目にすることは少なくなった。原始的な道具だが、蠅を殺すための道具であることに変わりはない。
掲句の「殺戮の武器」で読者が真っ先に思い浮かべるのは、ミサイルや戦車や銃などではないだろうか。或いは、時代劇に出てくる太刀や弓矢など。読者によっては原子爆弾を思い浮かべるかも知れない。なるほどこれらの武器は、使用していないときはいずれも静かだ。使おうという人の意思と行動があって、初めて「殺戮の武器」になる。掲句は、蠅叩もこれらの武器と同じだと言っている。だが、「殺戮の武器」という大上段に構えた措辞と簡便な「蠅叩」の間にある余りに大きな落差に、読者は立ち止まらずを得ないだろう。そこに、作者が込めようとした痛烈なイロニーが匂い立つ。『俳句』2023年7月号。
5月下旬から6月頃、栗のクリーム色の細長い雄花が散った後、その根元についた雌花が毬栗になる。丁度雨が降り続く頃で、ある日ふと葉叢に青々とした小さな毬栗が生まれていることに気づくことが多い。この頃の毬栗は触ってみたくなるほど瑞々しく柔らかい棘に包まれている。その後青栗は、夏の深まりとともに日に日に成長していく。
青林檎、青柿、青葡萄、青胡桃、青柚などが夏の季語になっているのに対し、青栗は季語とされていないが、成長途上の青栗には、熟しきった栗にはない未熟さ、若々しさがあり、周囲の風光とともに詠むことができるだろう。

薊はキク科アザミ属の多年草。平地から高山まで広く分布する。自生種のほか、園芸品種もある。ノアザミ、フジアザミ、ナンブアザミ、タイアザミなど多くの品種は夏から秋にかけて紅紫や紫色の球状の花を咲かせる。葉は羽状に裂け、縁に棘があることが多い。八方の草木が繁茂する中で咲く紅紫色の頭状花が色鮮やかだ。春咲く薊は少ないが、単に薊といえば春の季語。


梔子はアカネ科の常緑低木で、静岡以西の海岸近くの山野に自生し、また、庭木として植えられる。6、7月頃、肉厚の杯型の花をつけ、ジャスミンに似た甘い香りを放つ。花弁6枚の一重咲きのほか、八重咲きもある。咲き始めは雪白色だが、徐々に黄ばんでくる。秋には橙赤色の実をつけ、黄色の染料として利用される。
