芝はイネ科の多年草。野山に自生するが、「若芝」「芝青む」などという場合は、公園や広々した敷地が思われる。冬の間一面枯色をしていた芝生は、春になると若芽が出て、うっすらと青んでくる。そして、夏になると、緑の絨毯を敷き詰めたような「青芝」となる。


芝はイネ科の多年草。野山に自生するが、「若芝」「芝青む」などという場合は、公園や広々した敷地が思われる。冬の間一面枯色をしていた芝生は、春になると若芽が出て、うっすらと青んでくる。そして、夏になると、緑の絨毯を敷き詰めたような「青芝」となる。


「花吹雪」は、惜し気もなく風に散る桜の花びらを吹雪(ふぶき)に譬えた言葉で、「落花」の傍題。しきりに散っている桜は、その時、一切の執着を捨て去った放下の状態にあるようにも思える。
掲句は、花吹雪の行方を目で追っていてできた作品。落花の多くは水に落ちたり幹に当たったりして途中で飛翔を止めてしまうのだが、一部の落花は、どこまでも風に吹かれて飛んで行くのだった。ふと、この世とあの世の境を越えて吹かれていくひとひらの落花を想像した。平成18年作。『春霙』所収。
蒲公英(たんぽぽ)は、キク科タンポポ属の多年草の総称。さまざまな種が全国各地の道端や野原に自生する。在来種にはカントウタンポポ、カンサイタンポポなどがあり、外来種としては、セイヨウタンポポやアカミタンポポなどがある。三月から五月にかけてぎざぎざの葉の間から茎が伸び、その先端に黄色い花を咲かせる。最もポピュラーな野の花の一つ。
掲句は、たんぽぽに跼(かが)んだとき、過ぎ去った遠い日々のことが、鮮やかによみがえったとの句意。身近に感じられたのは、たんぽぽ摘みに熱中した少女時代かも知れないし、父母とともに過ごした幸福な日々だったのかも知れない。いずれにしても、人の記憶に刻み込まれた思い出は、隔てている年月の長短とは関わりなく、何かに触発されて鮮やかによみがえるものなのだ。『俳壇』2023年4月号。
「初蝶」は、春になって初めて見掛ける蝶のこと。大抵は、不意に見掛けて、たちまち見失ってしまう。もうそんな時季になったのかと、改めて春になったことを実感する。よく晴れて、日差しが惜し気もなく降り注ぐ地面や草の上などで見掛けることが多い気がする。
川越の喜多院の五百羅漢は、実際には全部で538体あるという。笑っている羅漢、怒っている羅漢、耳に口を寄せて何か囁いている羅漢、相酌の羅漢などさまざまな羅漢がいる。その中に見掛けた、腕に顔を埋めて哭いている羅漢のことを、陽春の日差しの中でふと思い起こした。この世を拒むかのように、顔を伏せた羅漢は、一体何を嘆いているのだろう。平成20年作。『春霙』より。
鴨は冬鳥として日本に渡来し、春になると北方へ帰ってゆくが、春がたけなわになっても、帰る時期が遅い小鴨などは、まだ帰らずに残っている。また、老いたり病気になったりして日本に留まっているのもいる。ほとんどの鴨が帰ってしまい静かになった湖に、ひっそりと留まっている鴨には、どことなく寂しさがある。
