2月25日は、戦後の俳壇において森澄雄とともに伝統俳句の中心的存在として活躍した飯田龍太の忌日。依然として寒さは厳しいが、咲き始めた梅に、待ちに待った春の到来を実感する時季でもある。
昼休みに公園の梅を眺めていると、折りからの日差しに誘われたように花虻がどこからか現れて、疎らに咲いた白梅に纏わるように飛びはじめた。空は深々とした碧ひと色。龍太が〈白梅のあと紅梅の深空あり〉と詠んだあの「深空」(みそら)だ。「龍太忌の深空」との措辞は、そのとき即座に思い浮かんだのだった。平成28年作。
2月25日は、戦後の俳壇において森澄雄とともに伝統俳句の中心的存在として活躍した飯田龍太の忌日。依然として寒さは厳しいが、咲き始めた梅に、待ちに待った春の到来を実感する時季でもある。
昼休みに公園の梅を眺めていると、折りからの日差しに誘われたように花虻がどこからか現れて、疎らに咲いた白梅に纏わるように飛びはじめた。空は深々とした碧ひと色。龍太が〈白梅のあと紅梅の深空あり〉と詠んだあの「深空」(みそら)だ。「龍太忌の深空」との措辞は、そのとき即座に思い浮かんだのだった。平成28年作。
「虚子忌」は、俳人高浜虚子の忌日で、4月8日。虚子といえば、近現代の俳句の源流をなす人であり、歳時記には多くの「虚子忌」の句が掲載されている。
掲句は、一読、〈初空や大悪人虚子の頭上に 虚子〉が思い浮かぶ作品であり、本歌取り的な手法がとられているといっていいだろう。自らを「大悪人」と称して憚らなかった虚子という人の生涯や作品のもつ図太さを、この虚子の句はよく表しているが、その「大悪人虚子」を偲ぶかのように、椿が真っ赤な花を咲かせているのだ。俳句のような短詩型の世界でも、今、虚子の図太さを必要としているのかも知れない。『俳句』2023年4月号より。