「春寒」は、早春の頃の寒さのことで、初春の季語になっている。「余寒」「冴え返る」もほぼ同意の季語。仲春以降に感じる寒さは、「彼岸寒」「花冷え」「木の芽寒」「苗代寒」「八十八夜寒」などと、時季や場面に応じて表現する。東京近辺でも、桜が散った後、思わぬ寒さが訪れることがある。仲春・晩春に訪れる寒さを、他に適切な季語がない場合、「春寒」と表現してもいいような気がするが、いかがであろうか。

「春寒」は、早春の頃の寒さのことで、初春の季語になっている。「余寒」「冴え返る」もほぼ同意の季語。仲春以降に感じる寒さは、「彼岸寒」「花冷え」「木の芽寒」「苗代寒」「八十八夜寒」などと、時季や場面に応じて表現する。東京近辺でも、桜が散った後、思わぬ寒さが訪れることがある。仲春・晩春に訪れる寒さを、他に適切な季語がない場合、「春寒」と表現してもいいような気がするが、いかがであろうか。

「春の暮」は、春の夕暮のことだが、春という季節の終わり(暮春)の気分もにじむ。いつまでも明るかった春の一日が今ようやく暮れようとしていることに、安堵感と一抹の名残り惜しさを感じる。
掲句は、句会が散会した後、軽い疲れを覚えながら、隅田川のほとりを暫く散策していてできた作品。海手の方に傾いた夕日は、相変わらず四辺を照らしていて沈む気配はない。東京湾から遡ってくる潮に揺らぎながらいつまでも明るい川面を眺めていると、川岸近い川面に花びらや葉が、吹き寄せられたようにかたまって漂っているのが目についた。上流の桜や常磐木が散らした花びらや葉が、ここまで流れてきているのだ。ここから上流の川堤には多くの桜が連なり、折々川風に残花を散らしているであろうことを想像してみた。平成23年作。
「海市(かいし)」は蜃気楼のこと。昔の人々は、蜃気楼現象を、蜃(大はまぐり)が気を吐いて楼閣を描くと考えたという。科学的には、気温の相違により、地上や海面上の大気の密度が一定ではないときに、光の異常な屈折が原因で、遠くの景色が見えたり、船が逆さまに見えたりするなど、物が実際とは異なって見える現象。
遺骨収集といえば、先の大戦で海外で戦没した多くの日本人の遺骨が帰らないままであり、関係者による遺骨収集が今なお行われている。掲句で、作者が拾いに赴こうとする「遺骨」も、当時の戦没者の遺骨のように思えるが、そう限定して読む必要はないだろう。もしかしたら、作者自身の遺骨を、自ら拾いに赴こうとしているのかも知れない。「海市」という季語のもつ幻想性は、読者の自由な読みを許容しているのだ。『文芸春秋』2023年4月号。
春の山が、いかにも春の山らしい装いとなるのは、仲春以降だろう。初春の頃にも、いち早く囀る四十雀など、春の気配はそこここに表れているのだが、木の芽がほぐれながら、日差しを遮ることもない明るい山中には、春が満ち溢れている。百千鳥の鳴き声に、キツツキの幹を叩く音。近くの藪で不意に鳴き始めた小綬鶏の声。木五倍子が咲き、山茱萸が咲き、山吹が咲く。冬の間とは打って変わって、人にやさしく触れていく風の感触も、春そのものだ。
春が深まるにつれて、山中は葉を広げる木々に遮られて暗くなっていく。諸鳥の声にも、営巣の初期のような賑やかさは無くなって、落ち着いてくる。そこここに夏の兆しが表れてくるのも、その頃だ。

「李」(すもも)は古く中国から渡来し、春、桜より遅れて白い花を咲かせる。野育ちの少女のような小振りで可憐な花だ。李には多数の品種があり、東アジア産の二ホンスモモと西アジア産のセイヨウスモモに大別されるが、わが庭に咲いていたのはセイヨウスモモだったと思う。秋には、熟した実を取って食べるのも、その頃の楽しみの一つだった。
掲句は回想の作品であり、眼前に李が咲いている訳ではない。父母は既に亡く、父母や妹たちと過ごした日々は過去のものだし、当時庭先に咲いていた李の木は、何年も前に寿命で枯死してしまった。それでも、父母とともに過ごした日々は、咲き盛る李の花の明るさとともにある。令和3年作。