「霾」(つちふる)は黄砂が降ること。日差しはありながらどことなく空が濁っているように感じられる日、自動車の車体や物干し竿にうすうすと黄砂が積もっていることがある。そんな日は、どことなく気分も鬱陶しい。実景を写生する場合のほか、陰影のある複雑な心の内を暗示しようとする場合に、この季語が用いられることもあるようだ。
我が家には、父が遺した梅干が何壺かある。月日の経過とともに塩を噴いて、普通に食べるには塩辛過ぎて向かないし、黒々として食味をそそるものではないが、夏などにご飯に混ぜて炊くと、仄かな梅干の香りに食欲が増すような気がする。なお、この梅干は20年以上前に父がつくったものだ。父は、中国大陸に出征した経験を家族にほとんど語ることがなかった。平成20年作。『春霙』所収。